渋沢栄一街中史料館第二弾
全開の 【渋沢栄一まちなか史料館】 からバージョンアップ。
11月11日は、渋沢栄一の命日! というわけじゃないのですが、たまたま思い出していったら命日だったそうです。
でもそんなことの1つも書いてなかったけど・・・
展示物がグレードアップしています。
でも展示物はそんなに変わってないかな。
と思ったら、別ルートが作られていました。
あー、全体を撮り損ねてる・・・
壁一面にずらーっと、渋沢資料館の展示物のコピー?が掲示されてるんです。
これらって史料館の内容なので、とても貴重です。
渋沢資料館内は撮影禁止ですからね。
渋沢栄一が関わった企業も、現代名になっています。
こちらの表現の方が、すごい人だったんだな!とわかりやすいですよね。
渋沢栄一に会いに来た偉人などの珍しい写真も多く展示。
グラント元大統領など、政治家でもないのに偉い人が起こしになられた記録などがあります。
公共事業
福祉分野での年表。
事業家の時に、設立にかかわった企業が、約500。
そして引退後にかかわった、医療や学校などの公共事業が約600.
引退してからの方が多いやん・・・
東京大学、早稲田大学、日本赤十字なんてのはすごい人だってわかりやすいですよね。 でも日本女子大学とかすごいことです。
だって、日本での女性の参政権が認められたのは、昭和21年(1946年)から。
日本女子大学校ができたのが、明治34年(1901年)です。
つまり、「女」というだけで選挙権すらなかった時代に、女子の教育機関の設立に動いていたわけです。
単にできることをいっぱいやった。などの実績ではなく、やるべきことや将来のための活動をしていたということですね。
青い目の人形
このあとアメリカと日本は戦争になる、そんな時代。
アメリカの平和を願う宣教師が、日米親善のために人形を贈ることを考える。その日本側の代表に、渋沢栄一が選ばれているという事柄です。
日本で平和を担える人!としての役割があった証拠ですね。
養育院
説明にあるように、当時の日本は幕府の崩壊後でホームレス状態の人が多数。そんな貧民救済のために作った施設です。
台風時でもホームレスは避難所に入れない。
今の日本とはまったく逆の発想ですね。
葬儀
昭和6年(1931)11月11日、享年92歳。
葬儀では、3万人以上の人が見送ったそうです。
芸能人でもないのにすごい人数です。
場所
【北とぴあ】 17階。展望フロアなので入場量なども無料です。
トータルで、2019/10/5~2019/11/7の期間。
現在の第二弾は、2019/11/8~2020/3/31の期間まで。
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